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小品にすぐれたるは、綠雨と小劍と也。 ― 大町桂月
名篇「鱧の皮」で知られる上司小劍が、明治から大正にかけ読売新聞に発表したコラム(小劍随筆その日その日、小劍随筆その日その日未収録、金魚のうろこ、金魚のうろこ未収録)851篇を収録。
上司小剣 かみつかさ・しょうけん
明治七年十二月十五日、奈良の生まれ。本名は延貴(のぶたか)。父延美は摂津多田神社の神主。小学校卒業後、大阪へ。大阪予備学校に通う一方、堺利彦と親しく交流。父の死で学校を辞め摂津多田に戻る。神主を務める傍ら、代用教員となる。明治三十年、堺の勧めで上京し、読売新聞社に入社。社会主義に関心を持ち、幸徳秋水らと交わる一方で、読売新聞社を通じて、徳田秋声、正宗白鳥ら自然主義文学者たちとも交流を深めた。明治三十六年から読売新聞に載った連載コラム「その日その日」で注目を集める。明治四十一年、「神主」で文壇に登場。新聞社勤務の傍ら次々作品を発表。同年『灰燼』、明治四十四年には『木像』を刊行。大正期には、再び読売新聞に「小さき窓より」や「一日一信」などのコラムを連載。大正三年、「ホトトギス」に発表した「鱧の皮」が、田山花袋らに絶賛され、文壇的地位を確立。大正八年、約二十二年間勤めた読売新聞社を退社すると、小説「東京」の執筆に着手。四部作からなる大長編となった。昭和期になると歴史小説や歴史エッセイなどを執筆。昭和十五年、『伴林光平』で第五回菊池寛賞を受賞。日本藝術院会員にも選ばれたが、昭和二十二年九月二日、脳溢血で死去。享年七十二歳。
[収録数について]
『上司小劍コラム集』に収録したコラムの通し番号について説明不足の点がありましたので、以下、編者による補記及び、上梓後に見つかりました誤記、誤植の箇所を掲載の上、お詫び、訂正申し上げます。
補記
上司小劍コラム集』には(一一一)が存在しません。底本とした『小劍随筆その日その日』では通し番号が(一一〇)から(一一二)にとんでおり、本書では底本の通し番号を踏襲しました。また(三一五)が重複しており、これについては番号を訂正しました。したがって、本書の通し番号は(八五二)で終っていますが、収録されているコラムは八五一篇でございます。
なお、解説文中、四七三頁八行目の「三百五十二回分」は「三百五十一回分」、十行目の(三二一)は(三二二)、十二行目の(三二五)は(三二六)、さらに四七四頁十行目の(三二五)は(三二二)が正しく、ここに訂正させていただきます。題布の色の如き赤面の不行届き、ご寛恕たまわりますよう。
本書より
神様は人間の食料として、鯛を造られたと同時に、蚊の食料として、人間を造られた。
○
征韓。征清。征露。戰爭が段々出世した。
○
何んとか綱要だとか、何んとか大綱だとか、何んとか小史だとかいふ本はよく出るが、綱要でなく、小史でない、眞んとうの大著述は一向出ない。
○
メリンスの友染(いうぜん)の坐蒲團を敷いて、其の前に着物の半分縫いかけたのと、針箱と、尺と、箆(へら)とを置いて、坐蒲團の上には誰れも居ない。ある日目黑を散歩して、或る家の傍を通つた時、かういふ景色を偸(ぬす)み見て、坐(そゞろ)にゆかしく思ふた。
○
一夜散歩の折、宇宙といふものは、限りのあるものか、限りのないものか、といふことを考へて、十二時ごろまでを空しく立ちつくした。考て見ればつまらぬことであつた。
○
燒酎と味淋とを合はせて造つた混成酒は、夏季の好飲料であるが、關東ではこれをなほしと言ひ、京阪(かみがた)ではこれを柳かげといふ。名のつけかたは總て京阪の方が優しくて上手だと思ふ。
○
紅葉山人の「金色夜叉」を讀むと「松茸は切つてゐて庖丁のきしむやうなのでなくちやア駄目だ」と主人公か誰れかに言はせるところがある。庖丁のきしむのは中古の松茸で、新らしいのは、筍を切るやうにさくりと割れます。流石の食通も關東人だけに、松茸のことは知らなかつたものと見える。
○
山城宇治にて秋江樣。初夏の浮舟園は氣持ちがよいでせう。あの川沿の座敷での、稍早目の晩餐を思ふと、身體がぞくぞくします。折柄の魚じまで、汁も膾もみな鯛は、すこし閉口しますが、季外れの鱧をちりにして、眞名がつをの味噌づけを燒き、慈姑(くはゐ)のうなぎでも添へれば、結構な食卓が調ふであらうと思ひます。東京では今例の兩性問題が、珍らしくもない波風を立てゝゐます。婦人が男子の所有品から出するのは、今日の場合至當のことですが、兎角ギゴチない理屈の附き纏ふのは、厭やなことです。婦人問題に對する理解があらうとあるまいと、貴兄の「別れたる妻」一篇は、私に至實な感動を與へてくれたと思ひます。しかしながら私はこの若葉の好時候に、厭やらしい男女關係の話よりは、御馳走話でも聽くのが嬉れしいのです。性慾よりも食慾ですね。夢想庵主ぢやないが、人生は食ですか知ら。…………尤も女話も例の羽左衞門氏とS女とのいきさつなぞは、名優と名妓で、綺麗な、ゆツたりとした感じを與へますね。あれは、何うしても、美しい東錦繪ぢやありませんか。これから濠端の女優劇を觀に行くところです。
(三日東京目黑にて)